とるにたらない日々

愛しき日常の記録とひとりごと

ザクロのカクテル

子どもが生まれてから、お酒がめっきり弱くなった。もともと嗜む程度(とは言っても、ビールを数口飲んだだけで、顔が赤くなるのがはっきりとわかるほど)だったけれど、今ではそれすら叶わぬほどだ。もともと弱かったのに、妊娠中から数えると、三年近く飲んでいなかったので、私のアルコール耐性はほとんどなくなってしまったのではないかと思われる。

でも、ほろ酔い気分だけでも味わいたくて、最近は夕飯の支度をしながら、台所でノンアルコールのビールやカクテルなんかを密かに飲んでいる。少し不良になったような気分がして楽しい。もっとも、ノンアルなのだから、なにも悪くないのだけれど。ついでに好物のカマンベールチーズなんかも、こっそりつまむ。

忘れられないお酒がある。いつだったか、それは結婚前の冬に、夫と訪れた伊香保で、ふらりと立ち寄ったバーで供されたものだった。そのバーはひっそりとした、まるで隠れ家のような佇まいで、私は入る前からどきどきした。バーに行くのは、いつも歌うときだけだったので、完全にお客さんとしてバーを訪れたのは、そのときが初めてだったかもしれない。中に入ると、ちらほらと数人のお客さんがいた。カウンターには美しいお酒の瓶が並んでいて、女性のバーデンダーさんが迎えてくれた。あとで聞いたところによると、その方は御歳七十歳を越えていたというから驚き。まったく見えない。

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席に着くと、私はフルーツ系のカクテルをお任せで頼んだ。

ザクロのカクテルだった。グラスに並々と注がれた、赤く、きらきらした魅惑の液体は、するすると私の喉を潤した。いつも飲んでいるような安くて味の薄いチューハイとは違って、きちんとアルコールが感じられた。それでも不思議なほど飲みやすく、とても美味しくて、私はそれを飲み干した。お酒について、詳しくはないけれど、作り手の、仕事に向かう真摯さのようなものが、カクテルから滲み出ているような、そんな気がした。私たちは、とても心地よい時間を過ごした。

案の定、ほろ酔いどころではなく、本格的に酔いが回ってしまった私は、宿までなんとか辿り着き、蛸のように真っ赤になって、布団に包まった。そして、そのままぐっすりと眠った。

目が覚めると、だいぶ時間が経っていたが、悪酔いはせず、頭はすっきりしていた。すごい、と思った。

あのときのカクテルが、忘れられない。いつかの日かまた、あのお店を訪れたいと密かに思っている。

フライパン問題

江國香織さんのエッセイ(やわらかなレタス)を読んでいるのですが、今日読んだ中にフライパンの話が出てきて、とても共感してしまいました。

テフロン加工のフライパンはすぐに表面の加工がダメになってしまって、そうなったら買い替えどきなのだけれど、なかなか古いものを捨てることができなくて、フライパンが増えていく、といった内容なのですが、気持ちがすごくわかります。

我が家のフライパンは、T-falのお鍋とフライパンが重ねられるセットのものを使っています。結婚祝いで妹にもらったものです。

フライパンは三つあって、そのうちの二つは焦げ付いてしまうので、最後に残った大きくて底が深いのを仕方なく使っています。(コンロが狭いので大きすぎて使いづらい)

使いやすいサイズのものを新しく買えばいいのですが、古いフライパンを捨てられず、収納に困るのが目に見えているので買えないのです。

なんというか、愛着がわいてしまって、ゴミ袋に入れてゴミ収集所に置くのを想像しただけで、心が痛みます。結婚祝いでもらったものだから尚更です。

フライパンだけでなく、服やタオルなんかもなかなか捨てられません。ミニマリストに憧れますが、到底できそうにありません。加えて、夫はコレクター(ウルトラマンや怪獣のフィギュアなんかの)です。

さておき、フライパン問題は多くの人を悩ませているようです。エッセイの中にもありましたが、テフロン加工のフライパンで目玉焼きを焼くのに慣れてしまうと、目玉が崩れてしまうのは、もうほとんど耐えられません。ホットケーキが焦げ付くのもしかり。

それにしても、なんてことのない話題を読み物として成立させてしまうのだから、本当に感心してしまいます。(私が言うことではないのですが)

エッセイを読んで、目玉焼きのことを英語でサニーサイドアップということを初めて知りました。

 

『博士の愛した数式』

今週のお題「読書感想文」

少し前に、小川洋子さんの『博士の愛した数式』を読みました。

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素数を愛し、数字と真摯に向き合ってきた博士。その実直で謙虚な姿勢に胸を打たれました。そして、数学と野球を通じて築かれた博士とルートとの友情(お互いを敬い、信頼する関係)を、なんて素晴らしいのだろうと思いながら読みました。小川さんの静かな文章で、優しく語られます。

 

私は数学が苦手でした。もっと言えば、算数(小学一年生で初めに習うの足し算)から、嫌いでした。

子どもの頃に博士のような大人に出会っていたら、違っていたかも知れません。

正解が導かれたあとの美しい静寂を私も味わいたいと思いました。

 

しあわせの瞬間

写真集なんて自分では買わないのだけど、息子を妊娠しているときに、友人から誕生日プレゼントとしてもらったものが一冊、我が家にはあります。

それは動物がしあわせを感じている(であろう)瞬間を集めたもので、「赤ちゃんが生まれたら一緒に見て癒されてね」と言って友人は手渡してくれました。

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その友人は大学からの親友で、当時彼女は出不精な私をいろいろなところへ連れ出してくれました。私の初めての海外旅行も彼女と行ったベトナム旅行でした。おすすめのスポットやイベント、映画や本など、いろいろな情報を私と共有してくれました。私ひとりでは見られなかった世界を見せてくれたのが彼女でした。彼女とは今でも毎年誕生日プレゼントを贈りあう仲です。来月は彼女の誕生月。

今年は家にいることが多いことを考えて、履き心地のよさそうなルームシューズを選びました。

私は彼女からもらった写真集を妊娠中から眺めていました。文章も結構な量があって、かなり読み応えがあります。

「あ、ぺんぎんさんだ!これはなに?きつねさんかぁ」

今、息子と一緒にページをめくっています。お腹にいた子とこうしてこの本を一緒に眺めていることに、少し感動します。

息子がびりっと、少しページを破いてしまったので、テープで丁寧に補修しました。時が経って、いつかテープでとめたその箇所が色あせたときは、私も年を重ね、息子も成長しているでしょう。そして、きっと今のこの日々を思い出し、懐かしく思うことでしょう。

 友人に心からの感謝を込めて。

真夏の夜のジャズ

ラジオからは今日も夏の終わりのハーモニーが流れています。

結婚してからラジオを聞くことが多くなりました。夫の影響もありますが、私自身、最近テレビの音や光に少し疲れてしまうのです。

人肌恋しいならぬ、人声恋しいときは、ラジオがぴったりだと思っています。聞きたいと思ったときだけ耳を傾けて、流したままにしておいても良いし。ラジオの方が生活に溶けこんで、邪魔にならない。心が和やかになります。

 昨日、義父がラジオに出演しました。ジャズの番組です。仕事の関係でジャズに詳しいのでゲストとして呼ばれたのです。今公開されている映画『真夏の夜のジャズ 4K』にちなんで、ニューポートジャズフェスティバルについて語っていました。


映画『真夏の夜のジャズ 4K』予告

 今日の夜はInter FM897で18:00からピーター・バラカンさんの番組を楽しみにしています。どっぷりとセンスのいい音楽に浸れます。

日曜朝はj-waveで玄理さんの番組「Across The Sky」を楽しく聞いています。家にいながら、世界に思いを馳せられます。

After Life

夜、息子が寝てから夫とネットフリックスをときどき見ています。

 

今見ているのは「After Life」。

がんで妻を亡くした男性のその後の人生のお話。全体的に静かなトーンで物語は進みますが、ユーモアがあって素敵です。人に優しくしたい心持ちになります。

いつか訪れる愛する人との別れ。それでもなお、人生は続く。そのとき私は、人に優しくできるだろうか。しんみり考えました。

死別を扱った作品には毎回思うことですが、今を大切に生きようと気付かされます。

シーズン2まで配信されていて、続きが気になるところ。優しさがしみる作品です。

同じイギリスの作品だと、「このサイテーな世界の終わり」もおもしろかったです。こちらは若い二人が可愛らしい。キャラクターが魅力的です。続きが気になり、一気に見ました。

最近の作品は一話が20〜30分と短く、見やすくて良いです。

 

次は何を見ようかな。

天体望遠鏡

八月ももう終わりに近づいている。この時期になるといつも、夏休みの宿題だった作文のことを思い出す。

小学生の頃、私は作文を書くのが得意だった。小学二年生のとき、クラスの代表に選ばれ、コンクールに応募することになった。子どもながらに真剣に考えて書いた作文だったので、嬉しかった。

しかし、担任の先生によって赤ペンが入れられて、清書するよう命じられた添削後の文章からは、八歳の私が一生懸命考えたその文章の締めくくりの文言が消え、かわりに大人が考え、子どもが書いたように装った、不自然なほどまとまった言い回しに書き換えられていた。

その作文はコンクールで優秀な成績を収め、私は全校集会で表彰され、賞品として赤くてぴかぴかの天体望遠鏡を体育館の壇上で校長先生から受け取った。私はたくさんの大人からほめられた。

また、こんなこともあった。

あるとき、環境問題に関する標語を考えるという宿題が出た。なかなか思いつかず、母にも一緒になって考えてもらい、なんとかひねり出して考えた標語を提出した。それは「お父さん」の五文字から始まるものだった。

しばらくして、そんな宿題のことも忘れた頃、標語の件でまた表彰された。表彰状には細長い短冊が貼り付けられていて、受賞した標語が印刷されていた。しかし、そこにあったのはお父さんの五文字から始まるが、そのあとはまったく別の見知らぬ標語だった。

私が知らない間に標語の大部分が変更され、それが入賞していた。その標語はよそよそしく、もうほとんど私とは関係がなかった。

表彰式のとき、一緒に表彰された後ろの席の友達に尋ねられた。「ねぇ、賞状についてる標語って、自分で考えたもの?私はこんなの考えてない」。彼女もまた、身に覚えのない標語で表彰されたようだった。

私はとっさに「自分で考えたものだよ」と答えた。「そっか…」と彼女は言い、困惑していた。

母に賞状は見せたが、あのときの標語だとは言えなかった。

 

あれらのことに、一体何の意味があったのだろう。受賞者を出すことで、学校にとって有益な事情があったのだろうか。真相はわからないけれど、傷ついた子どもは私だけではなかった。

 

今も実家のどこかに眠る天体望遠鏡。それで星を見たことは一度もなかった。