とるにたらない日々

愛しき日常の記録とひとりごと

フライパン問題

江國香織さんのエッセイ(やわらかなレタス)を読んでいるのですが、今日読んだ中にフライパンの話が出てきて、とても共感してしまいました。

テフロン加工のフライパンはすぐに表面の加工がダメになってしまって、そうなったら買い替えどきなのだけれど、なかなか古いものを捨てることができなくて、フライパンが増えていく、といった内容なのですが、気持ちがすごくわかります。

我が家のフライパンは、T-falのお鍋とフライパンが重ねられるセットのものを使っています。結婚祝いで妹にもらったものです。

フライパンは三つあって、そのうちの二つは焦げ付いてしまうので、最後に残った大きくて底が深いのを仕方なく使っています。(コンロが狭いので大きすぎて使いづらい)

使いやすいサイズのものを新しく買えばいいのですが、古いフライパンを捨てられず、収納に困るのが目に見えているので買えないのです。

なんというか、愛着がわいてしまって、ゴミ袋に入れてゴミ収集所に置くのを想像しただけで、心が痛みます。結婚祝いでもらったものだから尚更です。

フライパンだけでなく、服やタオルなんかもなかなか捨てられません。ミニマリストに憧れますが、到底できそうにありません。加えて、夫はコレクター(ウルトラマンや怪獣のフィギュアなんかの)です。

さておき、フライパン問題は多くの人を悩ませているようです。エッセイの中にもありましたが、テフロン加工のフライパンで目玉焼きを焼くのに慣れてしまうと、目玉が崩れてしまうのは、もうほとんど耐えられません。ホットケーキが焦げ付くのもしかり。

それにしても、なんてことのない話題を読み物として成立させてしまうのだから、本当に感心してしまいます。(私が言うことではないのですが)

エッセイを読んで、目玉焼きのことを英語でサニーサイドアップということを初めて知りました。