とるにたらない日々

愛しき日常の記録とひとりごと

天体望遠鏡

八月ももう終わりに近づいている。この時期になるといつも、夏休みの宿題だった作文のことを思い出す。

小学生の頃、私は作文を書くのが得意だった。小学二年生のとき、クラスの代表に選ばれ、コンクールに応募することになった。子どもながらに真剣に考えて書いた作文だったので、嬉しかった。

しかし、担任の先生によって赤ペンが入れられて、清書するよう命じられた添削後の文章からは、八歳の私が一生懸命考えたその文章の締めくくりの文言が消え、かわりに大人が考え、子どもが書いたように装った、不自然なほどまとまった言い回しに書き換えられていた。

その作文はコンクールで優秀な成績を収め、私は全校集会で表彰され、賞品として赤くてぴかぴかの天体望遠鏡を体育館の壇上で校長先生から受け取った。私はたくさんの大人からほめられた。

また、こんなこともあった。

あるとき、環境問題に関する標語を考えるという宿題が出た。なかなか思いつかず、母にも一緒になって考えてもらい、なんとかひねり出して考えた標語を提出した。それは「お父さん」の五文字から始まるものだった。

しばらくして、そんな宿題のことも忘れた頃、標語の件でまた表彰された。表彰状には細長い短冊が貼り付けられていて、受賞した標語が印刷されていた。しかし、そこにあったのはお父さんの五文字から始まるが、そのあとはまったく別の見知らぬ標語だった。

私が知らない間に標語の大部分が変更され、それが入賞していた。その標語はよそよそしく、もうほとんど私とは関係がなかった。

表彰式のとき、一緒に表彰された後ろの席の友達に尋ねられた。「ねぇ、賞状についてる標語って、自分で考えたもの?私はこんなの考えてない」。彼女もまた、身に覚えのない標語で表彰されたようだった。

私はとっさに「自分で考えたものだよ」と答えた。「そっか…」と彼女は言い、困惑していた。

母に賞状は見せたが、あのときの標語だとは言えなかった。

 

あれらのことに、一体何の意味があったのだろう。受賞者を出すことで、学校にとって有益な事情があったのだろうか。真相はわからないけれど、傷ついた子どもは私だけではなかった。

 

今も実家のどこかに眠る天体望遠鏡。それで星を見たことは一度もなかった。